
【プロフィール】
・名前
小川原謙一
・生年
1970年
・業種
IT関連
・趣味
テニス観戦
・ハマってるもの
テニス観戦含むオタ活
・Facebookアドレス
https://www.facebook.com/kenichi.ogawahara
【会社プロフィール】
・社名
株式会社アーカイブ
・設立
2005年4月
・ホームページ
https://archive-gp.com/
・事業内容
システム開発
システムエンジニアリングサービス
本日は株式会社アーカイブ代表取締役を務めてらっしゃいます、小川原謙一さんにインタビューしてきました!
今行っているビジネスはSES(システムエンジニアリングサービス)と呼ばれるもので、具体的には企業に請負や派遣契約でシステムエンジニアを送り、お客様のシステム開発のお手伝いをするといったものです。
何を隠そう、小川原さんも元はITエンジニアでした。当時のIT業界は、エンジニアを使い捨てのように扱っていました。残業はもちろん、徹夜や土日出勤も当たり前で、月に300時間を越える稼働をさせることもありました。その割に給与は安く、楽をしている上司の給与は高いことに不満をもち離職率が非常に高い現実がありました。小川原さんが所属していた会社も例外ではなく、そんな会社を良くしていこうと奮闘しました。その結果、離職率30%の会社が1年間だけ0%になりました。しかも、小川原さんの部下は4年間で1人も退職しませんでした。
しかし、会社は離職率を気にすることなく利益重視を続けました。結果、徹夜が続く仕事を強要された部下が退職してしまうことになり、社長との意見の違いから小川原さんも退職することとなりました。
そしてその退職のわずか10日後に、現在経営している株式会社アーカイブを設立したのです。
しかし社長になってからの日々も当然楽なものではありません。求人募集をしても応募が0で、創業時の少ない運転資金を減らすだけの結果になったこともありました。そのときは「自分が創業なんてしてはダメだった、やらなければ良かった」とさえ考えました。
当時は社員の収入アップになることばかり考えていましたが、どうしてアップするのか、年収以外で会社の魅力は何なのか、良く考え、それを求人票に落とし込んでいく、それを信じていくことで改善していきました。「社員のためになることはやる・社員のためにならいことはやらない」のモットーを胸に、諦めずに仕事を続けていきました。
その結果、求人初年度に4人の社員が入社することになりました。そのときにやっと「自分の思い描いた組織を作ることが間違いではなかった」と思えたそうです。そしてその出来事が会社経営の中で一番嬉しかった出来事になりました。そして、その4人は今でも在籍しています。
実は社員の8割くらいが引き抜きの交渉をされているそうです。引き抜きしてくる会社があることは知っていたので、そもそも給与を高くし、引き抜きする意味がないようにしました。その結果、離職者は20年間で3人だけの非常に低い水準を保っています。
社員やその家族から感謝されたときや、結婚式などの人生のイベントに呼ばれたときは幸せを感じるそうです。また、社員の家族やアルバイトからも手紙を送られることがあり、小川原さんの励みになっています。
将来のビジネス展望として、会社の人数は32人を限度だと小川原さんは考えています。それ以上多くすると社員と私との距離も遠くなってくる恐れがある、というのが主な理由。ゆくゆくは自社サービスも出来たらとは思っているそうです。
そして会社経営とは無関係に地元で飲食店経営をしてみたいそうです。利益を出したいというよりは、地域貢献の一環で、先祖(鎌倉時代)からの土地を活性化し生まれ育った土地を大切にしていきたいという願いから生まれた夢です。
どこまでも「誰かのため」に努力できる小川原さん。その性格がビジネス成功の鍵なのかもしれません。本日はありがとうございました。

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